プロフィ–ル

1977年東京生まれ。

東京下町生まれ。

子供の頃より、詩や、絵を愛していました。

文章力を認められましたが、

評価にさらされるのが嫌になり、

書かなくなりました。

普通の事を、普通にやれない自分に対しての、

コンプレックスから、

どんどん無氣力になっていきました。

集団生活が苦手で、だんだんはみ出して、

超年上の友人とばかり遊んでもらう思春期を経て、

やっと初めて努力したい事を見つけ、

グラフィックデザインの専門学校へ。

そこで、芸術に目覚めてしまい、就職など、

              全く考える事なく、喫茶店でアルバイトをし続ける日々でした。

              人間観察には、うってつけの場で、日々、意外と、

              面白おかしく過ごしていましたが、芸術家になる事を切望していました。

    自己愛の低さから、生きる事が苦しく、いつも、ここから逃げ出したいという氣持ちで、生きていました。

刹那主義で、風任せ、いつもふわふわしていたいような願望がありましたが、25歳で、思いがけずに結婚しました。

相変わらず芸術活動を続けていましたが、

なんとなく、いつしか、勢いに欠けて来て、どうにかなりたいという焦りばかりでした。

毎日が夏休みの様な幸せな暮らしでありましたが、心に闇を持ち続けていました。

そして、何かがずれてきている、そう感じていました。

自分の人生が、どんどん思い掛けないものになれば良い!

ある時から、そう思っていました。それは、言霊だったのです。。。宇宙は、叶えてくれたのです。

思いがけない出会いの数々に引っ張られ、別居、離婚、妊娠、再婚、入院、田舎への移住。。

次から次へと流れ続けて、田舎での暮らしは、破天荒そのもので、予想外の事の連続、

ジプシーの様に彷徨い、絶不調、経済も低迷の時、私は、再び、強く願ったのです。

私が最大限に活かせて、看板も出さずに出来る仕事を下さい。と。

そこは、高知県の東の果ての限界集落。幼子を抱えて、身動きも取れるはずがないのです。

でも、ある日、動き出しました。

ツイッターで繋がりのあったヒーリングサイトで、流れで、週1回、執筆する事となったのです。

ヒーリングなど、それまで無縁でした。それなのに、違和感がなかったのです。

同じ時期に、別の曜日に執筆する事になった方の中に、

ヘミシンクレイキヒーラーの高口美和さんがいました。

たくさんのメールをやり取りして、色々教わりました。

『どうして、分かっているのに、分からないふりをするの?あなたは分かっているのに。』

『自分の感覚を、もう信じて良いよ。あなたには、レイキが必要だよ。』と、

ヒーリングを、唐突に伝授して貰う事となりました。

初めてヒーリングをした時から、相手の潜在意識が作り出す、不思議な断片映画の様なものが観えました。

もう、私は、自分の感覚を信じる事にしたのです。

美和さんが、病に倒れたのは、それから、すぐ後でした。

ヒーリングとは無縁だったのに、まるで美和さんの意志を継ぐ様に、

私はいつしか、ヒーラーとして歩もうと決意していました。

活動開始後、すぐに、言霊師のあっきぃさんに評価された事も、背中を押してくれました。

 

元より、絵や詩に親しんで来たので、現在は、

 

それを活かした独自のセッションを展開しています。

 

住まいも、高知から、一旦東京に戻り、

 

近場の田舎である、埼玉県の飯能市にて、活動中です。

 

私は、ヒーリングやチャネリングを通して、

 

自分の中を照らし、見つけた闇と向き合う事で、

 

いかに今まで、自分が自分を愛して来なかったのか知りました。

 

その事で、いかに周りからの愛情を受け取る事ができずに、

 

一人塞いでいたのか知りました。

 

そこから逃れる為の夢ではなく、

 

明るく希望のある未来にしたい、と、

 

初めて切望出来ました。

 

もし、これを読んでいる方が、

 

過去の私の様に、

 

「ここにいたくない。」と、いつも思っていたり、

 

行動できない自分を、いつも責めているのなら、

 

きっと、今の私には、出来る事があります。

 

協力します。

 

共に、明るい未来を生きましょう。

 

あなたが、愛ある存在だと、

 

一緒に思い出していきましょう。

 

 

 

 

下記、私が活動をし始めた頃から、応援下さったお二人からの、

ご紹介の記事です。

 

あっきぃさんのブログ☆

 

岐阜のお家サロン愛香さんの、ドローイングカルテについて書かれた記事